私説 放鷹術の起源むかしむかし、そのまたむかし、ギャートルズの時代、あるところで、狩から戻る男が野原を歩いていました。 すると、道端に鳥がうずくまっています。 巣から落ちたのでしょう、弱りきっていて逃げようとはしません。 よく見ると、狩場で上手に小鳥や兎を捕まえる鳥に似ています。 男は、すこし興味があったので連れて帰りました。 それから、1~2年が経ち、身内からそんな道楽は止めろとか、早く食っちまえ~ 等々の悪口雑言を浴びせられながらも、手をかけ愛情を注いできた鳥はりっぱな成鳥に育ち、あの狩の上手な鷹に間違いないと確信できました。 鳥も男にはすっかりなついて、肩にとまって狩場にまでついて来るほどでした。 ある日のこと、いつものように狩をしていると、草むらから鳥の群れが飛びだしました。 あっと言う間の出来事でした。 肩から放れた鷹は目にも留まらぬ早業で一羽の鳥を地面に叩き落しました。 それは、次の日もそのまた次の日も続きましたので、男は柔かくて旨い鳥肉を毎日のように食することが出来ました。 鷹を使って狩ができるという噂はあっと言う間に広がりました。 四足の動物を追廻し、落とし穴を使って捕らえていたそれまでの狩に加え、鷹を使って飛んでいる鳥を捕まえる方法も定着し、狩の旨い鷹を所有していることがステータスシンボルになってきました。 やがて、時代が進んで、弓矢が発明され、それが広く使われるようになると、効率の悪い鷹を使った狩は、生活手段としては廃れていきましたが、皇族や貴族の間で、強者の証として伝承されるようになりました。 |
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江戸時代、将軍家お抱え鷹匠だった諏訪流は、自然に育っている若鳥を捕獲、訓練して放鷹する唯一の流派です。 雛から育てた鷹に比べ、高度な訓練を必要としますが、それだけ自然体に近いのでダイナミックな狩を見せてくれるそうです。 ただ、近年、若鳥を捕獲することが許されなくなり、一方で人工繁殖の技術も進んできたので、その限りではないとのことです。 浜離宮庭園での実演は1992年(平成四年)に始まり、今年が第16回。 当初は11月開催でしたが、2000年(平成十二年)以降はお正月に行われています。 当日参加するまでは、”放鷹術”の読み方さえ知らない無知さだったのですが、入口で頂いたパンフレットに詳しく説明されていて、多少は知識を得ることが出来ました。 その技法(仕込み)名称をメニュー項目にいたしました。
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